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北鉄時代の千里浜ちりはまレストハウス

最終修正:令和6年4月15日 (2)

 羽咋市から宝達志水町今浜にかけて、実に8kmにわたって続く砂浜の道、「千里浜なぎさドライブウェイ」。車で走ることのできる砂浜は世界的にも珍しく、フロリダのデイトナビーチ、ニュージーランドのワイタレレビーチ、そしてここ石川、千里浜海岸の3ヶ所だけといわれています。

 砂の粒が細かく弾力がある上、常に適度な湿り気を帯びているために、固からず軟らかからず、自動車が走行するのに適した浜となっているわけです。

 平成28年(2016年)に旅行ポータルサイトの「トリップアドバイザー」が開いた『トリップアドバイザーアワード2016』では日本のベストビーチ1位に選ばれています。沖縄県以外の海岸が1位に輝いたのは、平成22年(2010年)の開始以来初めてのことだったそうです。

 

 千里浜へ初めてバスが乗り入れたのは昭和30年(1955年)初夏のこと。浜で採れた魚を満載した車が砂に車輪を取られることなく疾走しているのを知っていた北日本観光自動車(株)のある運転士が、この砂浜はバスでも走ることができるのではないかと考え、客を運んだ帰りに回送の50人乗りバスを押水町今浜から海岸へ乗り入れてみたそうです。恐る恐るの試みでしたが、次の瞬間には、バスは広々とした自然の砂浜を駆け出していたといいます。

 その後、昭和32年(1957年)9月の新聞に「海浜をバスが走る」と報道されたのがキッカケとなり、昭和33年(1958年)6月に北陸鉄道(株)羽咋営業所と北日本観光自動車(株)が協力し、関西の旅行業者を招いて試走。一躍、車で走れる海岸――千里浜なぎさドライブウェイの存在が全国に知られるようになったということです。

 このなぎさドライブウェイの羽咋側の終点にあるドライブイン「千里浜レストハウス」は、以前は北鉄グループの千里浜観光開発(株)が経営していました。

 

 千里浜レストハウスの前身は昭和39年(1964年)8月1日に羽咋市の手によって開設された「市営レストハウス」で、外国人観光客の便宜を図るため、洋式トイレを併設した有料トイレとしてスタートさせたものだったそうです。

 トイレだけの施設というのも現代から見ればちょっと考えにくいものがありますが、当時、羽咋市には旅館でさえも洋式トイレがなかったそうで、こうした時代背景から、有料トイレを公営で設置するというのも異様なことではなかったのでしょう。

 昭和42年(1967年)には「なぎさ公園組合」の手で休憩所が増築されたそうですが、しかし一人の利用料がトイレ代の10円程度では維持管理が難しかったそうで、これを打開するために民間業者への経営委託が考えられ、北陸鉄道(株)に白羽の矢が立つこととなったようです。

 北鉄グループの経営となったのは昭和44年(1969年)5月1日からで、この日に千里浜観光開発(株)の手による「千里浜レストハウス」が開業。レストランの営業が開始されたほか、6月からは「モビレージ」と呼ばれる常設テント15棟、一般キャンプの貸テント10張でオートキャンプ場が開設。7月には貸ロッカー120個と300人収容のカラフルな大型テント無料休憩所が開設され、本格的なリゾート施設としての一歩を踏み出しています。

 レストハウスの建物は昭和50年(1975年)3月より千里浜観光開発(株)へ所有権が移り、正式に北鉄グループが100%経営を担う事業となったようです。

 昭和51年(1976年)10月25日には観光客の増加に対応して、500名を収容できるレストランの増築を実施。旧レストラン部分が売店に改装され、業務の拡大が図られたということです。

 平成2年(1990年)4月25日には施設の全面的な増改築が行われ、日本海の荒波をダイナミックに表現したステンドグラス「海輝」がきらめく欧風調の外観へと大幅に姿を変え、このとき現在に続くレストハウスの建物がほぼ完成を見ています。

 このリニューアルにより、1階には290uの売店、大食堂「はまなす」、パーティ、披露宴にも対応されたフロア食堂「さざ波」と「なぎさ」、宴会にも対応した旅館を思わせる和室5部屋が整備され、2階にはオシャレ感覚の軽食・喫茶「ベルメール」、バーベキューコーナー「浜風」と「いさり火」が完成しているようです。

 

 平成20年(2008年)3月20日、能登半島地震からの復興に向けてリニューアルオープン。バリアフリー対応のトイレが新設されたほか、浜焼きバーベキューコーナーが改装されています。

 平成21年(2009年)10月11日までには店舗1階に千里浜海岸の特徴である砂の細かさが実感できるコーナー「さわってみよう千里浜体験」が設置されています。千里浜をはじめ、蛸島(珠洲市)、琴ヶ浜(輪島市)、増穂浦(志賀町)、内灘海岸(内灘町)、浜佐美(小松市)など県内8ヶ所の浜砂を比較できるように展示され、粒の大きさや色の違いが分かる展示となっていました。

 その後、平成22年(2010年)4月1日にもリニューアルが行われ、旧観光バス乗務員休憩室がファミリーレストラン「Nagisa」へと改装。団体客の時代から個人客の時代へという世相の変化もあり、個人客が気軽に利用できるようになりました。

 また店内と外売店の仕切りが外され、雨天時にも濡れることなくショッピングできるようになったほか、売店は日本海の景色がイメージされる青基調のデザインに。波のように感じさせるグラフィックや、柱に巻き付けられた荒縄、木目調の壁などが能登の情緒を感じさせています。

 
 ▲千里浜レストハウスといえば名物「いかだんご」

 平成26年(2014年)7月10日からはレンタサイクルの取り扱いが開始されています。貸し出される自転車は「ビーチクルーザー」というタイプだそうで、一般的な自転車よりもタイヤが太いため、千里浜なぎさドライブウェイでも走行が可能ということです。

 また平成27年(2015年)7月頃までに電気自動車充電器2基が設置され、充電スタンドの情報を発信する「スマートオアシス」に対応されています。

 平成30年(2018年)6月28日からは1階カフェレストラン「Nagisa」でフリーWi-Fiが利用できるようになりました。食事後にスマートフォンやタブレットでの能登の観光スポット探し、千里浜が映える写真のSNSへの投稿などに活用できます。

 
 ▲千里浜レストハウスに停車する定期観光バス

 世界的に大きな影響を与えている新型コロナウィルスの感染拡大に際しては、令和2年(2020年)4月15日から当面の間、臨時休業が続き、令和2年(2020年)7月1日よりようやく営業再開。しかしレストランは土日祝のみの営業、浜焼きバーベキューは休止になるなど、苦境が続いていました。

 令和3年(2021年)1月1日付けで「千里浜レストハウス」は加賀屋のグループ会社である「(株)雅総合研究所」へ譲渡され、北鉄グループから外れました。営業については能登牡蠣の養殖・直売や笠師保駅前で飲食店「浜焼き能登風土」を手掛けている(株)能登風土への委託となっています。

 日本唯一の「なぎさドライブウェイ」のオアシスとして、全国から多くの観光客やドライバー、ツーリング客などに癒しを与えてきた千里浜レストハウスも、とうとう育ての親、北鉄の手から巣立つ日が来てしまいました。

 令和3年(2021年)2月11日に「能登千里浜レストハウス」として新装開店。店内が個人客向けに改装されたほか、海を望む幅4mのウッドデッキも新設されました。

 
 ▲「能登千里浜レストハウス」として再スタート


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