奥能登観光開発, その本業だったレストハウス
最終修正:令和6年4月13日 (1)
:: 大崎島レストハウス珠洲市の北海岸、すずバスの「泊」バス停近くにある大崎島海岸に、かつて「大崎島レストハウス」があったといいます。 北鉄奥能登バス(株)の前身のひとつである奥能登観光開発(株)は、もともとこの「大崎島レストハウス」の経営のために設立されたグループ会社だったようです。 「大崎島レストハウス」の建設を計画したのは珠洲市と石川県で、この経営を北鉄が受託。昭和43年(1968年)6月4日に開業させています。海に張り出した六角形の建物がトレードマークだったそうです。
昭和44年(1969年)に発行された定期観光バスのパンフレット「やさしい人情・美しい自然 国定公園能登半島」には、 能登半島定期観光バスの寄留地としても活用されていたようですが、その後、道路改良工事により撤去されることとなり、開業からわずか10年あまりの昭和54年(1979年)10月31日限りで閉店しました。 道路拡張の用地として収用されたため、跡地にはなにも残っていません。 奥能登観光開発(株)ではこれと同時期に「レストラン奥能登」と「鰐崎レスト」の受託を開始していることから、もしかするとこの経営委託は「大崎島レストハウス」の代替としてのものだったのかも知れませんね。
:: レストラン奥能登珠洲市馬緤町にあった「レストラン奥能登」。これも北鉄グループの奥能登観光開発(株)が手掛けていた施設で、「珠洲市自然休養村センター」の食堂として営業していたものだそうです。 昭和54年(1979年)7月20日より珠洲市から委託されて営業を開始している模様です。 なお、「珠洲市自然休養村センター」は昭和54年(1979年)4月1日、旧馬緤小学校跡地にて完成しています。 レストランおよび売店を備え、「おくのと号」「こいじ号」など能登半島定期観光バスの寄留地としても使用されていたほか、一般企業や団体の講習・研修にも使用できたようで、会議室30畳、研修室、さらに芸能伝習室という舞台付きホールも用意されていたようです。 しかし、平成4年(1992年)6月30日をもって珠洲市自然休養村センターからの管理受託は解除され、北鉄グループの手を離れています。「北陸鉄道五十年史」によると「諸般の事情により」とのことです。 建物自体は平成31年(2019年)3月現在も残っていましたが、営業しているのかどうかは定かではありませんでした。
:: 鰐崎レスト「レストラン奥能登」とともに奥能登観光開発(株)が珠洲市から営業を委託されていたのが、珠洲市馬緤野営場にあったという「鰐崎レスト」です。 「レストラン奥能登」と同様、昭和54年(1979年)7月20日より営業を開始。奥能登随一の海水浴場、鰐崎海岸を望むパークハウスで、毎年3月20日〜10月の間のみ営業していたそうです。 施設は更衣室、休憩室、シャワー塔、展望棟、炊飯場、野営場、有料駐車場というもので、海水浴場、キャンプ場の施設という趣きだったようですが、管理棟にある売店では、新鮮な農林水産物の直売、土産物の販売、食堂の営業も行われていた模様です。 「レストラン奥能登」と同様に、平成4年(1992年)6月30日に委託を解除されています。建物はその後売却されたようで、平成27年(2015年)6月時点では一般の家屋として使用されている模様でした。 「レストラン奥能登」「鰐崎レスト」の受託解除により、経営を担当していた奥能登観光開発(株)は地元海産物の通信販売等に活路を見出していたようですが、実際には休眠会社に近い状態だったのではないかと思われます。 この会社が平成11年(1999年)11月1日に突如バス事業者として表舞台に登場し、大谷A線、大谷B線など曽々木エリアの路線バス運行を担当するようになったわけですが、これは誰にも予想できない斜め上の展開。北鉄の歴史に残る珍しい出来事の一つといえそうです。
|
もりさけてんTOP > バスTOP > たのしいの種TOP > 当ページ